シュウ ウエムラの歴史

植村 秀は、ハリウッドで活躍した経験したのち、
日本でメイクアップ技術を伝える活動をスタート。
後に世界的なブランドへと成長させました。

彼の手によって生み出されるメイクアップは、
常に最先端を走り続け、芸術の域へと達するまでの
美の領域へと加速させました。

世を揺るがす革新的で自由な発想は、
今日でもベストセラーとなっているメイクアップや
スキンケア製品へと発展していきます。

1955

植村 秀
 

東京の美容学校にて唯一の男子学生としてメイクアップを学び、渡米。
ハリウッド映画のメイクアップを数多く手掛ける。

1962

アカデミー賞を受賞した女優シャーリー・マクレーンのメイクを担当。映画「マイ・ゲイシャ」の撮影では彼女を見事に日本の芸者に変身させたことで脚光を浴び、
フランク・シナトラなどのハリウッド大スターに 愛される人気アーティストとなる。

1965

メイクアップアトリエをオープン。
東京の生家で、メイクアップアーティストを目指す学生たちにプライベートレッスンを行う。

美容室を通じて、メイクアップテクニックとともに
化粧品を伝える活動をスタート。
1967

株式会社ジャパンメイクアップを設立後に「シュウ ウエムラ」として革命的なグローバルブランドに成長
日本においてオイルクレンジングが一般的でなかった時代に、世界初のクレンジングオイル「アンマスク」を発売。

「ヘア&フェイス」を提唱し、
トータルビューティーサロンづくりに力を注ぐ。
1968

世界初のモードメイクアップコレクション “flaggy ”を発表。
モードがファッションの領域としか考えられていなかった時代に、創造性と美しさの調和を目指し、メイクアップを芸術の域にまで高めた。以降、世界初のステージメイクアップパフォーマンスを開催。

1983

東京・表参道に初のブティックをオープン。
その革新的なディスプレイスタイル、シンプルで透明なパッケージは、女性からプロのメイクアップアーティストまでが手軽に色を試すことを可能にした。この前代未聞のオープンテスタースタイルは、後に化粧品小売業の「革命」と称賛された。

1984

ハード フォーミュラ誕生。
日本の伝統的ななぎなたの刃の形をしたアイブローペンシルは、アジアで売上No.1を誇るほどのロングセラーに。

2006

伝説のリップ「ルージュ アンリミテッド」誕生。
最先端の技術を駆使し、見たままの発色を追求。美の無限の可能性を引きだす。

2008

インターナショナル アーティスティック ディレクターにuchiideが就任。
植村 秀に直接指導を受け、そのDNAを引き継ぐ、シュウ ウエムラを代表する唯一無二のアーティスト。

「ヘア&フェイス」の理念をさらに進化させた
コアフュール・マキユール*の育成とサポートに力を注ぐ。
※サロンワークでヘア&フェイスを実践できる美容師
2011

カラーアトリエを発表。色と質感のバランスが生み出すバリエーションと自由にカスタマイズできるアイシャドーやフェイス カラー。
色彩を無限に、創造的に表現するための究極のツールとして、美の世界を豊かに広げてくれる。

2017

日本の職人技の粋を集めた「ペタル 55 ファンデーションブラシ」登場。
約18万9000本もの柔らかく緻密な毛とその密度は、熟練の職人の手仕事によって完成し、誰もがアーティストのような仕上がりを実現する。

… the shu uemura story continues